何ものをも振り落とすまいと心がける-こう語った倉田白羊は、はつらつとした木や草、晴れ渡った青空など、なにげない自然を克明に描いたことで知られています。
倉田白羊[1881-1938 本名:重吉(しげよし)]は、佐倉藩士で漢学者の倉田幽谷(ゆうこく)の末子として、埼玉県浦和(現さいたま市)に生まれました。10歳年上の兄、弟次郎[1871-1894]は、浅井忠の下で絵を学び、明治美術会会員として歩み始めた矢先に、23歳で亡くなりました。白羊は、夭折した弟次郎の遺志を継いで浅井に師事します。東京美術学校卒業後は、明治美術会をはじめ、太平洋画会、文展、院展洋画部などで活躍します。また、美術雑誌『方寸』の編集に森田恒友らと携わり、押川春浪が主宰する雑誌『武侠世界』などの挿絵や口絵でも知られていました。1922年には、春陽会の創立に参加し、この年山本鼎が設立した日本農民美術研究所の副所長として、信州上田市に移住しました。その後は、信州の風景を題材に、写実を重視した作品を春陽会に発表し続けました。
本展では、倉田白羊の生涯にわたる作品111点と関係資料の他、これまであまり紹介されることのなかった弟次郎の作品も特別展示されました。
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【会期・会場】
2004年11月3日~2005年1月16日
埼玉県立近代美術館
主催:埼玉県立近代美術館、
佐倉市立美術館
後援:TVSテレビ埼玉
協力:JR東日本大宮
2005年1月22日~2月27日
佐倉市立美術館
主催:佐倉市立美術館、
埼玉県立近代美術館
[全会場共通]
企画協力:株式会社アートインプレッション
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